OTA-C バットマン•ビギンズを再度鑑賞 忍者ブログ
ヒゲG-ZのOTA-C (オタック)  since 2009  Otherworldly Art - Club
[215]  [221]  [220]  [228]  [216]  [219]  [214]  [213]  [217]  [218]  [212
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

バットマンのダークナイト三部作の完結編である『ザ•ダークナイト•ライジング』を観た。

そこに第一部で、バットマンの師であり、敵であるデュカードが再登場しており、その意味を理解したくて、再度『バットマン•ビギンズ』を鑑賞した。そこにもクリストファー•ノーラン監督の変わらない「正義とは何か」「ヒーローとは何か」という彼の思想が描かれていました。

先に言ってしまえば、改めて観て発見したのは、『バットマン•ビギンズ』との共通点として、萬画家石ノ森章太郎先生が生み出した『仮面ライダー』シリーズに観られる「悪(敵)から派生した正義のヒーロー像」があった。『仮面ライダー』や『サイボーグ009』は、悪によって改造され、社会からは理解されず、けれど孤独の中で悪と戦い、誰からも賞賛されず、元の身体に戻ることも許されぬ悲しみを持ちながら、自己のルールに従い、戦い続けた

国は違えど、悲しい過去を背負いながらバットマンもそのような中で戦いを続けるヒーロー…。

(下のつづきを押してください)

バットマン•ビギンズ』には2つの「正義」がある。

一つは、ラーズ•アル•グール率いる「影の同盟」。真の正義を守るため、悪を憎む者同士の道。彼らは、何千年もの間、人類の腐敗をくい止めてきた。ローマを滅亡させ、ペスト菌を世界中にばらまき、ロンドンを焼き払い、一つの文明が退廃の頂点に達する時、彼らがそれらを潰してきた。ゴッサム•シティーも同じく不正や腐敗に満ちており、再度調和をもたらすために、その街を恐怖に落し入れようとしている。「正義とはバランスだ」と言い、現実を直視し、巧妙に理想主義者を排除しようとしている。一つの大きな街であるゴッサムが末期症状になっており、その街のとどめをさそうとしており、世界中がそれを観た時に恐怖するだろうと…。

つまり、腐敗していく人類をリブートさせようとしている。ここで思い浮かぶのは、先に何度か書いた萬画家石ノ森章太郎先生の『サイボーグ009』を映画化した神山健治監督の『 RE:CYBORG』に出てくる「神(?)の声」との共通点である。実は、脳内で自己無意識的な声であるり、それを聞いた人々が人類をリブートしようとテロを起こすが、それはつまり、多くの人々が止まぬ戦争、勝ち組のみが勝者とする各社社会と称するエセ階級制度、不正や腐敗に虚無感を感じていると言っている、ということ…。

また、「影の同盟」ほど規模が大きくないが、クリント•イーストウッドの出世作『ダーティー•ハリー』シリーズの第2弾で、法の抜け道を通る極悪な者を、デビット•ソウルらが演じるバイク•パトロール警官が殺していくというのがあった。これに似たモチーフは、日本の「必殺シリーズ」や、『ブラック•エンジェル』のようにテレビや漫画で多く描かれてきた。

誰もがこの世界に危機感を持っており、共感されているということであり、この不条理に何かしなければと考えている。バットマンの師であり、ラーズ•アル•グールの配下であるデュカードもそのように考え、犯罪と絶望の世界では生きるに価値のない人間を排除しようと、「影の同盟」の活動を進め、現代に「ソドムとゴモラ」を再現しようとしている。

もう一つの正義は、バットマン(ブルース•ウェン)自身。そして彼に協力し、彼の理解者である恋人のレイチェル、執事のアルフレッドや、ゴードン刑事である。ブルースは言う、「ゴッサムはまだ救えるんだ。善良な市民はいる」と、デュカードに対抗する。一人、犯罪に満ちた街に出て、悪人たちを退治していく。平和がいつ訪れるかも分からない孤独な戦いの中に身を投じて、身体を酷使し、希望を持って悪と向き合っている。
ゴッサムを守るとした両親ををゴッサムの人間に殺されたバットマンは、デュカードのもとで、悪に対して恐怖を植え付けるために自らの恐怖を克服し、己自身が恐怖の源になることを理解し、真実と向き合う方法を学び、戦う意志が重要だと教えられた。しかし、彼は復讐では何も解決しないことを知っており、「影の同盟」に入ることを拒んだ。「俺はゴッサムに戻って悪と戦う。そのつもりはあるが処刑人ではない」と、あくまで自分の信じる正義を貫こうとする。レイチェルの言葉にその真意が現れている。「正義は秩序のため、復讐は自己満足のため」だと…。そして、父親の言葉を反復する。「人はなぜ落ちる?それは、這い上がるため!」あくまでも人間の可能性を肯定的に考えている言葉である。それはブルースの思想の映画の根底にあるもので、自分も含めた人間に対する「希望」がそこにある。そこにデュカードや「影の同盟」とは異なるバットマンの「正義」が存在する。

その思想は、以前に神山健治監督の『 RE:CYBORG』について書いたゼロゼロナンバーの009の言葉を紹介したが、同じことを語っているし、石ノ森先生の残した原稿とメモをもとに小野寺丈史が完成させた小説『サイボーグ009完結編 2012 009 Cnclusion Gods' War』でも同様な台詞を009に言わせている。「…何が正しくて、何が間違っているのか。どこに善があり、悪があり、正義があるのかも分からないけれど。…ただ一つ言えることは、確かに愚かな人間もいる。だけど全うに生きている人もいるし、善良な人だって大勢いる。その人達までひっくるめて淘汰しようとしている事が、僕は許せない。…。現在も、この地球上で苦しんでいる人間が大勢いるんだ。そんな人間を放っておけるのか?僕たちはこの地球に生まれ、地球で育ってきた。この惑星には掛け替えのない歴史がある。どんな事情であれ、ここを守る義務がある。別の次元の人間に、それらを操られてたまるか。善も悪も欲求も野心も、全部持っているから人間だ。その人間が築き上げて来たもの。だからそれを、俺達人間が奪い返さなきゃいけない」と…。そこにはバットマンと共通したものを感じられる。009は、未完成であるけれど、その人間に希望を持ち、人間の可能性と未来を信じている。

再度言うが、『仮面ライダー』や『サイボーグ009』は、悪によって改造され、社会からは理解されず、けれど孤独の中で悪と戦い、誰からも賞賛されず、元の身体に戻ることも許されぬ悲しみを持ちながら、自己の正義やルールに従い、戦い続けた。あくまでも人間の善なる部分を信じて、孤独に戦っている。バットマンのように…。

ブルースが選んだ戦い方は、自らが恐怖になるイバラの道。「無関心な人々を動かすには衝撃的な何かが必要だ。僕が普通の人間として動いても、無視されるだけだろう。だが、もし人間を超えた存在になれたとしたら…?例えば、人に恐怖心を抱かせるような…。」そして、アルフレッドが確かめる。「つまり、悪と戦う時に、あなたはそのシンボルとして犯罪者から大切な人を守るということですか?」と…。これがバットマンの正体であり、彼の正義だ。

私たちは、これらの二つの「正義」を目の当たりにして、その正義が相対的なもで、視点によって見え方が変わるし、その後の行動が変わる事を学んだ。待った無しの現在に生きる私たちは、いつもどちらの正義に傾くのか、確実に試されている。そして、そのための行動も…。

人の心は分からない。でも本性は行動に現れる」と…。

拍手[3回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
OTA-C (オタック)
男性
元は、ある教育機関のオタクのためのクラブでしたが、廃止になったため個人のブログとして書き込んでいます。
アニメ、マンガ、フィギュア、コスプレなど、一定のビジュアル技術・メディア・コンテンツについて考察するブログです。
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
ブログ内検索
カウンター
忍者ブログ [PR]