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ヒゲG-ZのOTA-C (オタック)  since 2009  Otherworldly Art - Club
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ジブリ映画、とくに最近の宮崎駿監督の作品が「宮崎節」、「宮崎イズム」が前に出てきて、それが嫌で、最近のジブリ作品を観ていなかった。が、NHKの宮崎駿監督と宮崎吾朗監督のドキュメンタリー『ふたり』を観る機会があり、事前に『コクリコ坂から』を観た。

驚いた!ジブリ作品であるべきジブリ作品がそこにあった。感動した。涙した。これぞ、ジブリであるというものがそこにあった。監督は、宮崎吾朗監督。脚本は、宮崎駿監督。そこには、原作があるからかもしれないが、「宮崎イズム」が顔を潜めているが、昔の宮崎映画のアクション(動き)があった。それは、吾朗監督の初監督作品『ゲド戦記』で描いた「宮崎駿のモザイク」ではなかった。

『コクリコ坂から』は違った。もちろん作品には、宮崎駿監督も中にいたし、宮崎吾朗監督のみずみずしさもあった。2本目にしてこの飛躍はすごい。これが、実質的な初監督作品ではないだろうか。もちろん、父親に及ばない箇所、アクションもあったが、それでも良くまとまった作品となった。

声優たちもすごかった。岡田准一氏、大森南朋氏、香川照之氏ら、どの方々も名演技だった。岡田氏に関しては、アニメの中で彼自身が演じているような錯覚を覚えた。

ジブリが蘇り、新しい時代が来たのかもしれない。純粋に嬉しいし、ジブリというだけで、人が映画館に入るのだから、営業を軽視しても、ジブリのクオリティーを上げていってもらいたいと思う。宮崎吾朗監督の今後の活躍を期待しています。

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現代のアニメにおいて、その社会的問題を考える事が重要になってきている。つまり、戦闘、戦争を背景としたアニメを見る時には、その社会•政治的背景である領土問題、国境問題、侵略問題が設定されていて、それを理解した上で、ストーリーを読み解かなければならない場合がある。

例えば「ガンダムシリーズ」においては、宇宙に出たコロニー側の独立と、地球を中心とした権力の固持を主張する連邦軍の対立によって、戦争が始められたことが、この発端となっている。

このようにアニメを鑑賞する者は、その政治的•社会背景を理解しなければならなくなった。またオタクにとって、大人でも観えるアニメが増えた中で、現実社会との関係を理解していなければ、制作者側の真意を理解する事が難しくなった。

ご存知のように、アニメのTVシリーズの始めに漫画家手塚治虫先生の『鉄腕アトム』があった。それ以降のアニメは、「勧善懲悪」の世界であり、主人公が敵となる悪を対峙するという分かりやすいファンタジーであった。それは、子供に夢を与え、社会現象にもなった漫画家永井豪先生の『マジンガーZ』で同じであった。

それを変えたのは、同じく社会現象にもなり、「アニメ」という名を定着させ(それまでは「テレビ漫画」と呼ばれていた)、「アニメ」の存在を日本社会に確立した、漫画家松本零士先生の『宇宙戦艦ヤマト』であった。

(下のつづきを押して下さい)

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以前、『日本の正義 - 観』において、故金田伊功氏について少し触れました。

『そして、有名になったのが、原画マンとして参加していた「金田伊功」氏の存在が大きく、「金田パース」や「金田光り」といった独自の演出を、多くのアニメファンに認知させることとなりました。』と…。

ここで述べたいのは、アニメ界における唯一無二の原画マン金田伊功氏の存在です。
彼は、当時のオタクに「原画」という存在を知らしめました。彼の絵は、極端なパースやポーズの連続で、誰が観ても「金田!」と分かるもので、『銀河旋風ブライガー』『新サイボーグ009』『超電磁マシーン•ボルテスV』などのオープニングを観れば、彼独特の作画の素晴らしさが分かります。

言葉で表現するのは難しいですが、動くところは豪快に動き、カメラがグルグル回り込む感じを出し、寄ったかと思うとすぐに引いたり、観ていて気持ちのいい動きをさせます。また止まる時は、無理なポーズでも空中でも潔く止まり、立ち姿は「金田立ち」とまで言われた。つまり、天才的にタイミングというのを分かっていた人だと思う。戦闘機に至っては、猫背というか、八の字に形で、実際よりもかっこ良く飛び、ロボットが空飛ぶポーズは、腕が左右に開いて、足が極端に閉じているという形だった。有名なのは、当時角川映画が全盛の時代、初めてのアニメとして選ばれたのが「幻魔大戦」(当時原作平井和正氏の何十巻とあるストーリーをどうするのかが話題になったけれど、結局原作平井和正氏、漫画石森章太郎のアニメ化というオチだった)でしたが、その「火炎龍」は金田氏の作画。また、劇場版『銀河鉄道999』にも参加。またジブリ作品でも『風の谷のナウシカ』(当時金田氏の作画を見に行って、庵野秀明氏の巨神兵に驚いた)『天空の城ラピュタ』や『魔女の宅急便』等にも参加している。でも80年代初期が良いかもしれない。金田氏は、日本のリミッテッドアニメらしさを追求した新しい演出と文法を編み出したのです。

金田氏の作画は、演出効果を高め、物語性とキャラクターの魅力を向上してきました。
彼の描く独特の作画は当時は衝撃を持って受け入れられ、次々と当時のアニメの作画界に「金田モドキ」を生み出しました。その後「金田モドキのモドキ」が出て、80年代後半からモドキ達は独特のスタイルを捨てて普通になって行きました。

金田氏や後に「板野サーカス」で有名になった板野一郎氏を始め、日本独特の「制限された予算とスケジュール」の中で、続々と能力のあるクリエイター達が登場し、今の「オタク文化」の底力となっています。
金田氏の作画は、アニメにおいて「動き」を意識させてくれた人で、とにかく彼のアニメの「動きは楽しい」。その事に尽きると思う。

残念ですが、金田伊功氏は2009年7月に無くなりました。彼のアニメーションにおける功績は伝説となり、語り継がれて行くでしょう。金田氏のご冥福をお祈りいたします。

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今まで、『バットマン ザ•ダーク•ナイトを観て』、『バットマン•ビギンズを再度鑑賞』で、「ヒーローとは何か」「正義とは何か」を私なりに検証してきました。

では、日本では、特に「アニメ」ではこの問題について、どのように扱われて来たのでしょうか?

以前書いたように萬画家石ノ森章太郎先生が、漫画の中で「正義とは、ヒーローとは何か」を追求していまが、「アニメ」ではどうでしょう?石ノ森先生のTV版『サイボーグ009』では基本的に一話完結で、勧善懲悪の世界に徹していて、原作とは少し異なった印象でした。それはそれで面白かったという記憶があるのですが、真のヒーローとは何かというレベルには達してなかったと記憶しています。

そこで取り上げたいのが、富野喜幸(よしゆき 現 由悠季)氏です。言わずと知れた『機動戦士ガンダム』の生みの親です。ここでは、主に『海のトリトン』、『ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』を取り上げたいと思います。

(下のつづきを押して下さい。)

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僕たちはアニメが大好きだ。

アニメのキャラクターが好きだし、物語も好きだ。アニメの画が好きだ。映像が好きだ。声も、歌も、音楽も好きだ。
アニメでしか描けないキャラクターがあり、ドラマがある。アニメの映像には、アニメならではの魅力がある。アニメだからこそ表現できるものが、確実にある。

僕らがアニメが好きなのは、アニメでしか表現できない「何か」があるからかもしれない。

アニメが好きだ。

アニメは多様であり、その世界は奥深い。だから、もっとアニメを観よう。もっとアニメについて考えよう。もっとアニメについて語ろう。

そうすれば、もっともっとアニメを楽しめるはずだ。


(アニメスタイルより)

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プロフィール
HN:
OTA-C (オタック)
男性
元は、ある教育機関のオタクのためのクラブでしたが、廃止になったため個人のブログとして書き込んでいます。
アニメ、マンガ、フィギュア、コスプレなど、一定のビジュアル技術・メディア・コンテンツについて考察するブログです。
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