ヒゲG-ZのOTA-C (オタック) since 2009
Otherworldly Art - Club
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現代のアニメにおいて、その社会的問題を考える事が重要になってきている。つまり、戦闘、戦争を背景としたアニメを見る時には、その社会•政治的背景である領土問題、国境問題、侵略問題が設定されていて、それを理解した上で、ストーリーを読み解かなければならない場合がある。
例えば「ガンダムシリーズ」においては、宇宙に出たコロニー側の独立と、地球を中心とした権力の固持を主張する連邦軍の対立によって、戦争が始められたことが、この発端となっている。
このようにアニメを鑑賞する者は、その政治的•社会背景を理解しなければならなくなった。またオタクにとって、大人でも観えるアニメが増えた中で、現実社会との関係を理解していなければ、制作者側の真意を理解する事が難しくなった。
ご存知のように、アニメのTVシリーズの始めに漫画家手塚治虫先生の『鉄腕アトム』があった。それ以降のアニメは、「勧善懲悪」の世界であり、主人公が敵となる悪を対峙するという分かりやすいファンタジーであった。それは、子供に夢を与え、社会現象にもなった漫画家永井豪先生の『マジンガーZ』で同じであった。
それを変えたのは、同じく社会現象にもなり、「アニメ」という名を定着させ(それまでは「テレビ漫画」と呼ばれていた)、「アニメ」の存在を日本社会に確立した、漫画家松本零士先生の『宇宙戦艦ヤマト』であった。
(下のつづきを押して下さい)
例えば「ガンダムシリーズ」においては、宇宙に出たコロニー側の独立と、地球を中心とした権力の固持を主張する連邦軍の対立によって、戦争が始められたことが、この発端となっている。
このようにアニメを鑑賞する者は、その政治的•社会背景を理解しなければならなくなった。またオタクにとって、大人でも観えるアニメが増えた中で、現実社会との関係を理解していなければ、制作者側の真意を理解する事が難しくなった。
ご存知のように、アニメのTVシリーズの始めに漫画家手塚治虫先生の『鉄腕アトム』があった。それ以降のアニメは、「勧善懲悪」の世界であり、主人公が敵となる悪を対峙するという分かりやすいファンタジーであった。それは、子供に夢を与え、社会現象にもなった漫画家永井豪先生の『マジンガーZ』で同じであった。
それを変えたのは、同じく社会現象にもなり、「アニメ」という名を定着させ(それまでは「テレビ漫画」と呼ばれていた)、「アニメ」の存在を日本社会に確立した、漫画家松本零士先生の『宇宙戦艦ヤマト』であった。
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私たちは、そのアニメで初めて茶色く荒廃した地球を客観的に見せつけられた。そこには青き海はなく放射線で覆い尽くされ、地下に逃げるしかない人類の姿があった。『ヤマト』自体も第二次大戦で沈んだ「大和」を改造したものであり、1974年に、放射能におかされた世界を描きえたのは、日本人だからではないかと思う。「放射能除去装置」という発想もそう思うし、それがあればと、今だからこそ思う。
『宇宙戦艦ヤマト』は「放射能除去装置」を求め、「イスカンダル」星へ向けて旅立つのであるが、敵である「ガミラス軍」がその手を阻み、戦いを繰り広げる。「波動砲」や「ワープ」というSF的概念が子供にも真新しく、夢中になった。「ガミラス」は星の寿命が短い事を知り、地球に移住するために、地球を攻撃し、自分たちの都合の良い環境を作ろうとしていた。また「ガミラス」の独裁者「デスラー総統」のかっこよさにデスラーファンもいた。アメリカでも放映され、「大都市のアニメイベントでは、デスラー総統のコスプレが何人おいて、全土で何百人のデスラーがいるんだろう」と、オタキングこと岡田斗司夫氏は語っている。そして続編の劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の時には、月刊アニメ誌『アニメージュ』が創刊され、黒地に銀のヤマトが表紙を飾った。ヤマトは「ファンクラブ」も作られ、アニメは黄金時代を迎える。
第24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」では、ヤマトはガミラスに勝利するが、宇宙の星が一つ死んだ事を悟った主役の「古代進」に言わしめる。「勝つものがいれば、負けるものがいる。負けたものは幸せになる権利がないというのか…今日まで俺はそれを考えた事がなかった。俺は悲しい。それが悔しい。…地球の人もガミラスの人も幸せになりたいという気持ちに変わりはない…なのに、我々は戦ってしまった…我々がしなければならなかったのは、戦う事じゃない…愛し合う事だった…勝利か!?クソでもクラえ!!」と。
そこで観ていたものは、仮想戦争を経験していたが、そのテーマが反戦である事に気がつかされる。そして、最終話では、「古代進」とヒロイン「森雪」、古代の兄「古代守」とイスカンダルの「スターシヤ」そして、ヤマトの乗組員とヤマトを待つ地球の人々との愛の絆の物語であったと知らされた。
前記したように、1979年の『機動戦士ガンダム』でも同じくファンタジーではあるが、観るものは仮想戦争を経験した。それと前後して、以降リアルなロボット戦闘ものが創られている。
そういったアニメが社会問題を浮き彫りにして行く中で、より現実感を持って迎えられたのが、『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』であった。監督は奇才「押井守」氏。東南アジアでの戦争を映した後、一発のミサイルが、日本を戦時下にするというものであった。当時の日本の状況は、1992年、国連平和維持活動、つまり自衛隊海外派遣のためのPKO協力法が可決されるかどうかという時代であった。それゆえ、この劇場版は、リアル感を持って、平和ボケしている日本に活を入れるものとして、社会人も観た映画として記憶にとどめられた。この「戦時下の日本」というテーマは、後の神山健治監督の『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』に受け継がれる。
その神山健治監督が、世界的にヒットした押井守監督作品『攻殻機動隊 Gost in the Shell』のTVシリーズ化したのが、SF作品『攻殻機動隊 Stand Alon Complex』でした。神山健治監督の初監督作品で、出世作であるこの作品は、多くのファンを獲得し、キーワード「笑い男」は有名になる。監督はこの作品の中で、自分が生き抜いた時代を反映し、過去の社会問題を繁栄ささせている。
まず企業テロを描いている。その元は、「グリコ•森永事件」である。その事件とは、1984、85年に食品会社を標的とした一連の事件で、犯人が「かい人21面相」と名乗った。まず、江崎グリコ社長を誘拐し、身代金を要求し、その後丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家などの食品会社を次々と脅迫。現金受け渡しにおいては、犯人は一度も現れなかった。その後、小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に落し入れた。不審者の似顔絵が作られ「キツネ目の男」と呼ばれた。これらは未解決事件である。神山監督は、この事件を「笑い男」事件として、社長誘拐をストーリーの中に組み込んでいる。
もう一つは、「丸山ワクチン」です。1944年に丸山千里教授が、結核ワクチン(丸山ワクチン)の研究を始め、それを進めるうちにガンに対して有効である可能性が見いだされ、1964から実際にガン治療に対して使用を始めた。その認可に対して、問題があったことを記憶している。これを神山監督が、「電脳症」に対するワクチンの認可に対する問題をストーリーに組み込み、製薬会社社長の誘拐へと発展して行く様を描いていた。
その後、神山健治監督は上記したように、『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』において、ごく少数の先鋭部隊である公安9課が、いかに戦争を止めるのかを描いている。難しい問題に対して、明快に答えを出した事は賞賛に値すると思う。
このように、アニメも単なる2次元のファンタジーで、子供やオタクが観るだけのものではなく、社会を映す鏡として、また観るものに問題定義をするものとして機能している事を知ってほしい。
『宇宙戦艦ヤマト』は「放射能除去装置」を求め、「イスカンダル」星へ向けて旅立つのであるが、敵である「ガミラス軍」がその手を阻み、戦いを繰り広げる。「波動砲」や「ワープ」というSF的概念が子供にも真新しく、夢中になった。「ガミラス」は星の寿命が短い事を知り、地球に移住するために、地球を攻撃し、自分たちの都合の良い環境を作ろうとしていた。また「ガミラス」の独裁者「デスラー総統」のかっこよさにデスラーファンもいた。アメリカでも放映され、「大都市のアニメイベントでは、デスラー総統のコスプレが何人おいて、全土で何百人のデスラーがいるんだろう」と、オタキングこと岡田斗司夫氏は語っている。そして続編の劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の時には、月刊アニメ誌『アニメージュ』が創刊され、黒地に銀のヤマトが表紙を飾った。ヤマトは「ファンクラブ」も作られ、アニメは黄金時代を迎える。
第24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」では、ヤマトはガミラスに勝利するが、宇宙の星が一つ死んだ事を悟った主役の「古代進」に言わしめる。「勝つものがいれば、負けるものがいる。負けたものは幸せになる権利がないというのか…今日まで俺はそれを考えた事がなかった。俺は悲しい。それが悔しい。…地球の人もガミラスの人も幸せになりたいという気持ちに変わりはない…なのに、我々は戦ってしまった…我々がしなければならなかったのは、戦う事じゃない…愛し合う事だった…勝利か!?クソでもクラえ!!」と。
そこで観ていたものは、仮想戦争を経験していたが、そのテーマが反戦である事に気がつかされる。そして、最終話では、「古代進」とヒロイン「森雪」、古代の兄「古代守」とイスカンダルの「スターシヤ」そして、ヤマトの乗組員とヤマトを待つ地球の人々との愛の絆の物語であったと知らされた。
前記したように、1979年の『機動戦士ガンダム』でも同じくファンタジーではあるが、観るものは仮想戦争を経験した。それと前後して、以降リアルなロボット戦闘ものが創られている。
そういったアニメが社会問題を浮き彫りにして行く中で、より現実感を持って迎えられたのが、『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』であった。監督は奇才「押井守」氏。東南アジアでの戦争を映した後、一発のミサイルが、日本を戦時下にするというものであった。当時の日本の状況は、1992年、国連平和維持活動、つまり自衛隊海外派遣のためのPKO協力法が可決されるかどうかという時代であった。それゆえ、この劇場版は、リアル感を持って、平和ボケしている日本に活を入れるものとして、社会人も観た映画として記憶にとどめられた。この「戦時下の日本」というテーマは、後の神山健治監督の『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』に受け継がれる。
その神山健治監督が、世界的にヒットした押井守監督作品『攻殻機動隊 Gost in the Shell』のTVシリーズ化したのが、SF作品『攻殻機動隊 Stand Alon Complex』でした。神山健治監督の初監督作品で、出世作であるこの作品は、多くのファンを獲得し、キーワード「笑い男」は有名になる。監督はこの作品の中で、自分が生き抜いた時代を反映し、過去の社会問題を繁栄ささせている。
まず企業テロを描いている。その元は、「グリコ•森永事件」である。その事件とは、1984、85年に食品会社を標的とした一連の事件で、犯人が「かい人21面相」と名乗った。まず、江崎グリコ社長を誘拐し、身代金を要求し、その後丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家などの食品会社を次々と脅迫。現金受け渡しにおいては、犯人は一度も現れなかった。その後、小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に落し入れた。不審者の似顔絵が作られ「キツネ目の男」と呼ばれた。これらは未解決事件である。神山監督は、この事件を「笑い男」事件として、社長誘拐をストーリーの中に組み込んでいる。
もう一つは、「丸山ワクチン」です。1944年に丸山千里教授が、結核ワクチン(丸山ワクチン)の研究を始め、それを進めるうちにガンに対して有効である可能性が見いだされ、1964から実際にガン治療に対して使用を始めた。その認可に対して、問題があったことを記憶している。これを神山監督が、「電脳症」に対するワクチンの認可に対する問題をストーリーに組み込み、製薬会社社長の誘拐へと発展して行く様を描いていた。
その後、神山健治監督は上記したように、『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』において、ごく少数の先鋭部隊である公安9課が、いかに戦争を止めるのかを描いている。難しい問題に対して、明快に答えを出した事は賞賛に値すると思う。
このように、アニメも単なる2次元のファンタジーで、子供やオタクが観るだけのものではなく、社会を映す鏡として、また観るものに問題定義をするものとして機能している事を知ってほしい。
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