OTA-C 神山健治監督とは何ものか?  009 RE: CYBORG 再び 忍者ブログ
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既に公開されている(四国では来年初めですが)「009 RE: CYBORG」について語りたいのですが、それをを語る前に、まず監督について是非知ってもらいたいと思います。つまり神山健治監督のことです。

現在、生存する日本人の監督として世界的に有名なのは誰かと問われれば、北野武監督と宮崎駿監督ではないでしょうか。どちらも私の好きな監督です。北野監督の映画は、私はB級作品(良い意味で)だと思っていますが、ひとカットごとに監督のイメージの幅で役者が演技をしており、それ以上でもそれ以下でもないと思います。つまり、監督一人のイメージから決して外れず、早撮りがゆえに、監督の感性がすべてを決定しており、役者の可能性も限定され、それ以上のものが生まれないところが、良い意味ども悪い意味でもB級にとどまっているのではないかと思えて仕方ありません。(B級の神様ジョン・カーペンターまで極められれば良いのですが…。)
また宮崎監督は、アクションアニメの天才ではあるけれど、すでに監督の思想が出来上がっており、特にジブリが形成された後の作品からは、その思想が映像からにじみ出ており、それがある意味鼻を突いて仕方が無いのです。「自然を大切に」と言われれば、「はい」と答えるしか無いではありませんか。まるで説教されているように感じてしまいます。少なくとも私は宮崎監督からその思想を押し付けられるのではなく、監督に追いつけるように思考したいのです。何度観ても飽きず、新たな発見が心地よく、各キャラクターが無心に縦横無尽にラストに向かって突き進んでいく姿が観たいのです。昔のカリオストロやナウシカやラピュタのように…。

そういった中で、ここ数年アニメ界で新しい監督が出てきています。新海誠監督の出現には驚きましたし、細田守監督の作品には心が和み、これぞアニメの世界だと感心させられます。
中堅にはエヴァの庵野秀明監督もいますし、私の一押しは、神山健治監督です。押井守監督の劇場版をTV化した『攻殻機動隊S,A,C,』シリーズ、ファンタジーの『精霊の守り人』、一人の青年が現状の日本を救うSFとロマンのオリジナル作品『東のエデン』、そして今回の漫画家故石ノ森章太郎先生原作『サイボーグ009』の映画化『009 RE: CYBORG』の監督です。
神山監督の師(?)にあたり、ある意味プロダクションI.Gの「顔」でもある押井守監督は、TV版、劇場版『うる星やつら』、特に劇場版『うる星やつら2 ビューティフル•ドリーマー』が出世作品で、私の好きな作品の一つです。また、劇場版『パトレイバー』2本を制作し、『攻殻機動隊 Ghost in the Shell』で世界を驚かし、実写映画『アバロン』、攻殻の続編『イノセンス』、現代の若者にメッセージを送った『スカイクロワ』へと観るものを引き込んできました。面白い逸話として、宮崎吾朗監督が若いとき、『風の谷のナウシカ』よりも『ビューティフル•ドリー』の方が面白かったと問題発言し、宮崎駿監督がそれを聞きつけて「押井守って誰だ!」と激怒した話しがあります。
その押井守監督にして「早くつぶしておけば良かった」と言わしめた相手が神山健治監督です。実は、当初は『009 RE: CYBORG』も押井監督で、神山監督が脚本を書くということで制作される予定でした。しかし押井監督は、私たちよりもかなり前を歩んでおり、商業的に無関心な部分があったようです。神山監督は、押井監督に対するラブレターとして脚本を執筆しましたが、押井監督がそれをひっくり返すように、ギルモア博士は死んでいて、ゼロゼロナンバーのイワンは犬に脳を移植されていて、他のメンバーは死んでいて、ヒロイン•フランスソワーズは58歳で…というように。『サイボーグ009』を知っている私たちにとっては、これはひっくり返るような設定です。押井監督はずいぶんと上へ行かれたのだと感じました。「虚構と現実」という現代の問題に一石を投じて、幾重にもそれを問いかけてくれた押井監督はどこへ行ってしまったのでしょうか。
もっとも、もとは押井監督のために書かれたものなので、劇場版『009 RE: CYBORG』には押井テイストは残されています。特に私が注目したのが「天使の化石」です。押井監督の作品の中に『天使のたまご』という難解な作品があります。その中に「天使の化石」が出てくるのです。「卵を抱いた少女」「天使の化石」「空飛ぶ魚の影」「実体のない魚を追う漁師達」「機械仕掛けの太陽」「ノアの箱船」とほとんど台詞のない映像は、当時の私を唸らし、困惑し、さらに「こんな映像を創るのはどんな頭なのか」と押井監督に再度リスペクとさせました。まさに今にして思えば、それは石ノ森章太郎先生の世界観に通じるのではないかと、考えています。石ノ森先生の『サイボーグ009』の「天使編」、「神々との戦い編」は、シリーズの完結編として構想されながらも、未完に終わった石ノ森先生の遺作です。特に「神々との戦い編」では、説明の無いままに情景が変わっていき、『天使のたまご』のように読むものを置き去りにしていったです。

話しを劇場アニメ『009 RE: CYBORG』に戻せば、この作品は「神々との戦い編」とは関係のない設定ですが、石ノ森先生が描こうとした「善とは何か」「正義とは何か」そして「神とは何か」というテーマで描かれており、難解なエンディングで終わると聞きました。神山監督のメッセージが詰まった『攻殻機動隊S.A.C.』の「Stand Alon Complex」、つまり人間自体、人間の存在への問いを描いた思想には、押井監督と異なったものがあり、今でも「Stand Alon Complex」という思想は今でも私の頭の中で鳴り響いています。まだ『009 RE: CYBORG』を観れていない私にとって、単なるヒーローものではなく、新たな思想を問いかけてくれるのではないかと、天才にして奇才な神山監督的な世界観を期待しています。

想いのままに書いていると、つい当初の目的である神山健治監督について書くという話しから外れてしまったようです。また書きます。長くなりましたが、最後まで読んで頂いてありがとうございます。

 参考資料『サイボーグ009』「天使編」「神々との戦い編」

  参考文献

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