ヒゲG-ZのOTA-C (オタック) since 2009
Otherworldly Art - Club
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仮面ライダーの条件として、私は改造人間であることと、元に戻らない身体に悲しみを持ちながら、孤独なうちで誰も知ることも無く、マシンを操り、自らの「正義」のために戦っているヒーローであると考えていました。その姿を観て、鑑賞者はそのヒーローに同調しているのだと…。仮面ライダーを作り上げた一人、漫画家故石ノ森章太郎先生の狙いもそこにあるのではないかと思います。それゆえ、リメイク劇場版『仮面ライダーThe First』を歓迎し、『仮面ライダーThe Next』に熱中しました。
そのため平成ライダーの有り様は、観ていて何を伝えようとしているか戸惑い、困惑し、クエッションマークを付けてきました。平成ライダーは、『クウガ』から『ウィザード』まで14作品を数え、イケメンの主役達は、子供だけでなく女性のフォンを獲得し、誰でも観られるドラマに進化しました。まるで『機動戦士ガンダムSEED』以降がキャラクターデザインで、美男美女を採用したことにより、女性ファンを増やして、より普遍化したように…。
ではなぜ平成ライダーが改造人間ではなくなったのか?その答えが、特撮、ドラマ、アニメで脚本を書いている小林雄二著「特撮ヒーロー番組のつくりかた」の中にありました。
「仮面ライダーが悪の組織によって、取り返しのつかない手術を受けて悩むという設定は、手術をこれから受ける子供や、術後の子供達をいたずらに苦しめる。また出頭医を悪の手先として描くことは、職業差別につながるという批判を免れない」と…。
さらに『龍騎』に関して、「やっぱり仮面ライダーが犯罪者とか、死んでしまうというのは今じゃ出来ないし、『龍騎』当時だから出来たのですね。浅倉なんて脱獄囚のですからね(笑)」と言及し、『キバ』については、「吸血鬼っていう言葉もダメだし、血も吸っちゃいけない。あと『アレルギー』っていう言葉もダメ。あと、もともと(紅)渡は『この世のアレルギー』っていう設定で、この世にいられない、例によってお化けってことだったんだけれど、それもダメだと」関係者の発言を上げて説明しています。
表現規制が多くなるのは、長寿番組の宿命であり、幅広い視聴者に触れていることの証でもあるという。しかしそれは偽善です。どこまで視聴者やスポンサーに規制されなければならないのでしょうか?その制約の中で制作している全スタッフには頭が下がるが、はたしてそれで良いのか?そのまま増長されると「戦い」自体が社会的悪となり、子供達を騙すことになるのではないか?頭のいい子は番組自体を作り物として馬鹿にし、純粋な子は社会の実態を観た時に失望するのではないか?そこまで行かなくても、『ウルトラマンコスモス』のように怪獣をむやみに殺傷しない慈愛の心を持ったウルトラマンが登場し、怪獣と人間の共存というテーマが描かれたが、確かにそれは究極的な理想であるけれど、その路線で仮面ライダーが成立するのか、はなはだ疑問です。では『仮面ライダー』とは何なのか。
同書の中で、『仮面ライダー』シリーズに共通してるのは、「悪の側から派正した正義」という点であり、変身する力が悪の側から持たされるということが書かれています。つまり、同族殺しのような悲劇性が根っこにあるということです。また、仮面ライダーが自らを生み出したショッカーと戦って、最終的にショッカーを倒すというのは自分自身を生み出したものをつぶすという「親殺し」の側面を持ち得ます。そして最終的にはショッカーの改造人間である自分自身のみが残り、そのこと自体がライダーを人間社会の中で異人たらしめ、疎外感を抱かせる存在となり、自己否定へと向かわせる矛盾を内包している点が指摘されます。
そうであるならば、『仮面ライダー』の存在自体が悲劇であり、自己矛盾の中で存在自体に疑問符をつけるものとして永劫回帰に継続される存在がそこにあるのではないでしょうか。決して救われることの無い「正義」として、完結することはありません。それが『仮面ライダー』の実態ではないか?私はその悲劇性に魅力を感じているのようです。そう考えると「平成ライダー」の存在は脳天気としか言いようが無いように思います。
「悪の側から派正した正義」が『仮面ライダー』であるならば、そこに「悪」とはなにか?「正義」とは何かという問い重要になってきます。以前、私が書いた神山健治監督は、その作品『009 RE:CYBORG』の中で、石ノ森先生が描こうとした、「正義」とは何か?そして「神」とは何か?という問いに対して、一つの答えを私たちに用意してくれていると思います。そのつもりで、『009 RE:CYBORG』を拝見してもらいたいし、私自身もそうするつもりです。
そのため平成ライダーの有り様は、観ていて何を伝えようとしているか戸惑い、困惑し、クエッションマークを付けてきました。平成ライダーは、『クウガ』から『ウィザード』まで14作品を数え、イケメンの主役達は、子供だけでなく女性のフォンを獲得し、誰でも観られるドラマに進化しました。まるで『機動戦士ガンダムSEED』以降がキャラクターデザインで、美男美女を採用したことにより、女性ファンを増やして、より普遍化したように…。
ではなぜ平成ライダーが改造人間ではなくなったのか?その答えが、特撮、ドラマ、アニメで脚本を書いている小林雄二著「特撮ヒーロー番組のつくりかた」の中にありました。
「仮面ライダーが悪の組織によって、取り返しのつかない手術を受けて悩むという設定は、手術をこれから受ける子供や、術後の子供達をいたずらに苦しめる。また出頭医を悪の手先として描くことは、職業差別につながるという批判を免れない」と…。
さらに『龍騎』に関して、「やっぱり仮面ライダーが犯罪者とか、死んでしまうというのは今じゃ出来ないし、『龍騎』当時だから出来たのですね。浅倉なんて脱獄囚のですからね(笑)」と言及し、『キバ』については、「吸血鬼っていう言葉もダメだし、血も吸っちゃいけない。あと『アレルギー』っていう言葉もダメ。あと、もともと(紅)渡は『この世のアレルギー』っていう設定で、この世にいられない、例によってお化けってことだったんだけれど、それもダメだと」関係者の発言を上げて説明しています。
表現規制が多くなるのは、長寿番組の宿命であり、幅広い視聴者に触れていることの証でもあるという。しかしそれは偽善です。どこまで視聴者やスポンサーに規制されなければならないのでしょうか?その制約の中で制作している全スタッフには頭が下がるが、はたしてそれで良いのか?そのまま増長されると「戦い」自体が社会的悪となり、子供達を騙すことになるのではないか?頭のいい子は番組自体を作り物として馬鹿にし、純粋な子は社会の実態を観た時に失望するのではないか?そこまで行かなくても、『ウルトラマンコスモス』のように怪獣をむやみに殺傷しない慈愛の心を持ったウルトラマンが登場し、怪獣と人間の共存というテーマが描かれたが、確かにそれは究極的な理想であるけれど、その路線で仮面ライダーが成立するのか、はなはだ疑問です。では『仮面ライダー』とは何なのか。
同書の中で、『仮面ライダー』シリーズに共通してるのは、「悪の側から派正した正義」という点であり、変身する力が悪の側から持たされるということが書かれています。つまり、同族殺しのような悲劇性が根っこにあるということです。また、仮面ライダーが自らを生み出したショッカーと戦って、最終的にショッカーを倒すというのは自分自身を生み出したものをつぶすという「親殺し」の側面を持ち得ます。そして最終的にはショッカーの改造人間である自分自身のみが残り、そのこと自体がライダーを人間社会の中で異人たらしめ、疎外感を抱かせる存在となり、自己否定へと向かわせる矛盾を内包している点が指摘されます。
そうであるならば、『仮面ライダー』の存在自体が悲劇であり、自己矛盾の中で存在自体に疑問符をつけるものとして永劫回帰に継続される存在がそこにあるのではないでしょうか。決して救われることの無い「正義」として、完結することはありません。それが『仮面ライダー』の実態ではないか?私はその悲劇性に魅力を感じているのようです。そう考えると「平成ライダー」の存在は脳天気としか言いようが無いように思います。
「悪の側から派正した正義」が『仮面ライダー』であるならば、そこに「悪」とはなにか?「正義」とは何かという問い重要になってきます。以前、私が書いた神山健治監督は、その作品『009 RE:CYBORG』の中で、石ノ森先生が描こうとした、「正義」とは何か?そして「神」とは何か?という問いに対して、一つの答えを私たちに用意してくれていると思います。そのつもりで、『009 RE:CYBORG』を拝見してもらいたいし、私自身もそうするつもりです。
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『仮面ライダーX仮面ライダー・ウィザード&フォーゼMOVIE大戦アルティメイト』が12月8日より公開します。漫画家石ノ森章太郎先生の特撮キャラクターである『アクマイザー3』と、『イナズマン』が登場します。楽しみです。
『ロックアウト』は11月23日から公開です。『007スカイフォール』は12月1日公開。『ダイハード・ラストデイ』は2013年2月公開です。ついでまで…。
『ロックアウト』は11月23日から公開です。『007スカイフォール』は12月1日公開。『ダイハード・ラストデイ』は2013年2月公開です。ついでまで…。
忘れてた!!明日からエヴェの『新劇場版:Q』が公開になります。
前回の『新劇場版:破』の公開から約2年半、待ちに待った待望の新作です。
新しいキャラも出るようですし、何と言っても、眼帯付きで生まれ変り新しいプラグインスーツを装着したアスカ•ラングレーと、彼女が乗り込む破損していびつに補修された異様の顔を持つ新装備エヴァ2号機がどのような活躍を見せるか、楽しみです。またシンジと接触するカヲルとエヴェ•マーク06がストーリーの中でどのように関わってくるか興味津々です。
エヴァ『新劇場版:破』で登場したNERV官用車クーペがまた出てくるかな?この車は『帰ってきたウルトラマン』(ちなみに彼が若い時に自主制作特撮フィルム「帰ってきたウルトラマン」でウルトラマン役をやっていました)で出ていたもので、エヴァ初号機の出撃場面を観ても思うのですが、やはり庵野秀明監督は特撮の申し子だと感じさせられます。
とにかく、『新劇場版:Q』の公開を歓迎し、期待しています。
前回の『新劇場版:破』の公開から約2年半、待ちに待った待望の新作です。
新しいキャラも出るようですし、何と言っても、眼帯付きで生まれ変り新しいプラグインスーツを装着したアスカ•ラングレーと、彼女が乗り込む破損していびつに補修された異様の顔を持つ新装備エヴァ2号機がどのような活躍を見せるか、楽しみです。またシンジと接触するカヲルとエヴェ•マーク06がストーリーの中でどのように関わってくるか興味津々です。
エヴァ『新劇場版:破』で登場したNERV官用車クーペがまた出てくるかな?この車は『帰ってきたウルトラマン』(ちなみに彼が若い時に自主制作特撮フィルム「帰ってきたウルトラマン」でウルトラマン役をやっていました)で出ていたもので、エヴァ初号機の出撃場面を観ても思うのですが、やはり庵野秀明監督は特撮の申し子だと感じさせられます。
とにかく、『新劇場版:Q』の公開を歓迎し、期待しています。
バンダイのプロジェクトBM!シリーズの「仮面ライダー The Next」のV3とショッカーライダーを入手しました。
「仮面ライダー」という作品自体が劇場版としてリメイクされていて、2005年には「仮面ライダー The First」が制作され、好評を受けて続いて2007年に「仮面ライダー The Next」が制作されました。原作漫画に近い設定で、現代風にデザインされたライダー達はとてもかっこいいです。ライダーファンをうならせるものになっています。さらに出てくる怪人達もスタイリッシュです。驚きは、The Firstで「死神博士」がCGで蘇ったこと。故天本英世氏がデジタルで帰ってきました。
The Nextでは、1号のマスクに無数の傷があり、2号のマスクには血管が浮き出ており、よりリアルに存在し、そして魅力あるキャラクターとして再登場します。それに加えて、上の画像にあるV3と複数のショッカーライダーが登場し、ライダーファンを喜ばせました。残念なのは、旧仮面ライダー1号の怪奇ドラマ的な要素を加えたため、Jホラー的になり、PG-12指定となっていること。話しの筋から本当に必要であったのかどうか疑問に思うところです。私たちライダーファンが求めているところと、少しずれていた感がありますし、それは監督の責任です。もしそれが無く、子供達も喜び、そして大人も納得するものになっていれば、今頃は「仮面ライダー The Generation(?)」として3本目のリメイク作品が出来ていたかも?!
バイクシーンは、これぞ仮面ライダーのアクションというべきものとなっており、必見です。テレビシリーズでは見ることの出来ないアクションであり、ライダーのライダーたるゆえんを魅せつけられました。是非一度観て下さい。
話しをプロジェクトBM!に戻すと、どちらも精巧に出来ていて、さすがバンダイさんという感じです。とくにV3は細かいところまで復元されており、満足の一体です。ショッカーライダーも人気があるんだよね。ちなみにThe Nextの1号も持っています。私の宝物となりました。